隈研吾建築に世界が魅了される!新国立競技場がオリンピックのシンボルとなる日
こんばんは。
あんにんです。
来年の夏はいよいよ東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。
今年は冷夏と言われていますが、来年は気温によらず熱い夏になりそうですね!
東京の街も2020年のオリンピックに合わせて、
少しずつですが、確実に変わりつつあります。
なかでも今年の秋に完成予定とされている、
オリンピックを象徴するメインスタジアム『新国立競技場』に注目が集まっています。
オリンピックのメインスタジアム・新国立競技場が完成間近!
2013年9月7日にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会総会(IOC)にて、
2020年の夏季オリンピックが日本で開催されることが決定してから、
気づけばあっという間に開催翌年にまで迫ってきました!
新国立競技場の新設について、
当初はオリンピックまでの完成が危ぶまれていたことが記憶に新しいです。
最初のコンクールで最優秀賞となった
ザハ・ハディド氏によるデザインが採用されたものの、
巨額の工事費と完成時期の遅れをめぐった問題から、デザイン案が白紙になる一大事。
2015年秋から設計者の選定が再度行われ、
日本を代表する建築家・隈研吾(くまけんご)氏に白羽の矢が立ちました。
あれから4年、ようやく2019年11月30日に完成目途が立ったようです。
隈研吾が2020年東京オリンピックに込めた想い
隈研吾氏は、1954年横浜に生まれ、1964年開催の東京オリンピックの際、
代々木の屋内競技場に衝撃を受けたことをきっかけに、
幼少期から建築家を志すことを決めていました。
オリンピックからスタートした建築家としての道で、
50年以上もの時を経て、華やかなオリンピックを彩るメインスタジアムが、
隈研吾氏の手によって間もなく完成しようとしています。
デザインの特徴
隈研吾建築の特徴は、日本の伝統要素を取り入れて木材を大胆に使い、
ぬくもりのある「和」と「モダン」が融合したスタイルを得意としています。
「和の大家」という異名がつくほどに、和素材を活かしたデザインが人気です。
土地や文化に溶け込むような建築は、
洗練されたデザイン性と同時に、どこか心が安らぐような柔らかさを持ち合わせ、
国内外で様々な賞を受けるなど、世界に活躍の場を広げています。
世界から注目されるメインスタジアム
2020年東京オリンピックのメインスタジアムでは、
世界最大規模のセレモニーである開会式・閉会式が開催され、
陸上(トラック・マラソン)やサッカーのオリンピックの花形競技が行われます。
そこには世界から約7万人もの人々が訪れ、
選手たちの熱い戦いを眼前で応援するのです。
無機質な石造りの要塞のようなイメージがあるのではないかと思いますが、
隈研吾氏のデザインによって、幾重にもかさなる木材が存在感を放ち、
いい意味で競技場のイメージとはかけ離れた『和』を基調とするデザインが話題を呼んでいます。
日本全国が一体となって完成するデザイン
この競技場のデザインには、隈研吾氏の粋なこだわりが隠されています。
競技場の外側に軒(のき)やひさしとして使用される木材は、
47都道府県から調達したものを使用し、
日本全国の人の心をひとつにしたいという願いがこめられているようです。
世界の方々をもてなす”想い”が、随所に込められた作品です。
隈研吾のデザインする空間技術
隈研吾氏の建築作品は、インパクトのあるデザインで毎回話題になっています。
新国立競技場の完成も数ヶ月後に迫っていますが、
すでにこの世に生を受けた作品も、多くの人の心を惹きつけています。
いくつか代表作をご紹介していきます。
根津美術館
出典:http://www.nezu-muse.or.jp/jp/guide/index.html
東京・南青山にある根津美術館も、隈健吾氏の代表作のひとつです。
竹林をイメージさせる竹格子の長い通路は、日本らしい美を感じさせます。
都心にいることを忘れてしまいそうな、穏やかで洗練された建築です。
スターバックス リザーブ ロースタリー東京
出典:https://www.axismag.jp/posts/2019/03/118870.html
世界中に広く展開しているスターバックス店舗のなかでも
焙煎工場も併設した世界に5店舗目となるロースタリーが、
2019年2月に東京・中目黒にオープンしたばかり。
この外装を隈研吾氏が手がけ、
目黒川の景観に映える自然の美しさを感じさせてくれる造りになっています。
まとめ
これらの上品な作品のなかに、新国立競技場が加わる日もあとわずかですね。
建築の細かい技術や芸術に詳しくなくても、
隈研吾建築の創り出す空間に、世界中の人々があっと驚き魅了されることと思います。
熱気あふれる競技の記憶とともに、
2020年の東京オリンピックを印象づける”シンボル”となるのではないでしょうか。