仕事とキャリアと私。

都内で働くOLです。日々仕事に燃えて、成長のために読書をしたり、キャリアアップのため研修を受講したりと奮闘中!自分にとって最適なワークライフバランスを模索しながら、光差す未来が訪れるような情報発信をしていきます。

東日本大震災から8年。空にかかる大きな虹に未来の希望を託して

こんばんは。

あんにんです。

 

今朝は天気が大荒れで、横殴りの雨でしたね。

足元がずぶ濡れになったのですが、会社に着く頃には雨もやんで、空には大きな虹がかかっていました。

写真は取りそこねてしまったので、Twitterで話題の写真を。

 

そう、今日は3月11日

日本にとって忘れることのできない大災害・東日本大震災東北地方太平洋沖地震)が起きたのは、8年前の2011年3月11日でした。

 

あの日の私と8年後の今の私。

8年前のあの日

地震が発生したのは午後2時46分、世界が一変しました。

その時間、私は以前の職場で事務作業中でしたが、急激な揺れに一瞬なにが起きたのかがわからず、職場は騒然としていました。

5つのキャスターがついたオフィスの椅子は前後左右に動き回り、どれほどの揺れなのかが視覚的にも感じられるほどでした。

 

本能的に逃げなきゃ!と肌で感じたものの、20階建のオフィスビルは大きく揺れて、とてもじゃないけど歩き回れるような状態ではなかったのです。

床にへばり着くのがやっと。どうにかこうにかデスクの下にもぐりこみ、なにもできずにうずくまっていました。

 

何分経ったのかは分からないけれど、大きな揺れがおさまった頃、外から数々の大きなサイレン音が聞こえ、社内には状況を知らせるアナウンスが次々と流れてきます。

 

ただ事ではないと感じたとき、瞬時に脳裏をよっぎたのはやっぱり家族のこと。

とにもかくにも連絡しなくては!と携帯を手にしますが、全然繋がりません。

(本当はダメだと思いますが、)オフィスの電話回線でかけたらようやく繋がりました!

プルルル…と鳴る電話に「大丈夫、ちゃんと繋がっている!」と少し安心しながらも、「お願い!早く出て…!」という焦りや緊張が走ります。

自分の心臓がどくどくいうのが聞こえていました。

ようやく母が電話口に出て、安心したのも束の間、焦った様子で家の状況を話してくれて、心細さや不安な気持ちが伝わってきます。

 

家では大きな揺れで外壁が剥がれたり、テレビが倒れたりという状況だったようですが、ひとまず怪我もなく無事だと聞いて、大きく息をつきました。

職場でも同じように、みんな家族と連絡を取ることに奔走していました。

 

ふと冷静になって、フロアを見渡すと、あちこちに書類やら荷物やらが散らばっていて、揺れの大きさを実感して、改めて恐怖を感じたのでした。

 

社内ではアナウンスがしきりに流れ、安全が確認できるまで待機という指示でした。

20階のフロアは揺れがおさまったと思われる頃にも、まだ揺れているように感じられます。

ビルが揺れているのか、揺れている気がするだけなのかよく分からない…。

 

混乱する状況をなんとかしようと、チームメンバーと近くに集まって、引きつりながらも笑顔で会話。

無理矢理にでも張り詰めた空気を打破したことで、心に少し余裕ができて、ホッと落ち着いたのを覚えています。

 

夜になって、地震はどこで起きたのか、各地がどういう状況になっているのか、少しずつ情報が入ってきました。

東京の交通網は大混乱で、ほぼ全ての鉄道が運休というアナウンスが流れていました。

当時、通勤に1時間ほどかけていた私は、今日は帰れないんだと早々に悟ります。

 

職場から近い人や、小さな子供を持つ人たちは、なんとしてでも帰ろうと帰路のことで頭がいっぱいだったようで、絶対に家に帰ると最低限の荷物をかかえてオフィスをでる人たちも出てきます。

私も家族のことは心配だったけれど、ひとまず無事が確認できたので、ちゃんと動けるようになってから帰る方が心配をかけないだろうと、無理に帰ることは諦めました。

 

会社からは、備蓄の食料が支給され、オフィスで宿泊しても良いとアナウンスがあったので、普段から仲のいい同僚たちとオフィスに泊まることに決めました。

 

不安ばかりが大きくなっていくその夜。

一緒に過ごす同僚たちの存在が、本当にありがたいものでした。

ごはんやお水も簡易なものでしたが、もらえるだけで満足でした。会社の防災担当の人たちがせっせと配ってくれる姿をみて、本当は家族や友人など気がかりなこともあったはずなのにと、感謝の気持ちも絶えません。

こういう非常時になって初めて、どれだけ周りに支えられているのかを体感するのでした。

 

8年後の今日

あの日から8年後の今日、2019年3月11日。

8年と言えば、当時の小学1年生ならば中学校を卒業する年になりますね。そう考えるとものすごく長い年月に感じますが、震災の爪痕は今でも被災地に残っているようです。

日本が感じた痛みを忘れることはできないし、決して忘れてはならないですよね。

 

当時と比べて、少しでも多くのことを活かせているでしょうか?

この震災で大きく育まれたのは、『家族を守りたい』という気持ちと『人への感謝』の気持ちでした。

 

これまでは1年に一度しか帰っていなかった実家にも、少なくとも3ヶ月に一度は帰るようにしています。元気そうな顔を見るだけで、充分。

普段一緒に過ごす友人や職場の同僚とも、一緒にいられる時間は当たり前じゃないんだと、この日が来るたびに思い返すようにしています。

 

あの時の想いを、色褪せずに持ち続け、行動に表せるようにしていきたいです。

 

この先の未来に何を伝える?

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Image by 12019 on Pixabay 

すべての出来事にはなにか意味があって、そこから学び、この先に活かしていくことが大切なことなのだと思います。

この震災という経験を通して、改めて自分が大切にしたいものが鮮明になりました。

 

今日、空にかかった虹は、きっと希望の灯り(あかり)』なのだと思います。

日本はこの痛みから多くのことを学んで、未来への希望を灯すための出来事にしていかないとですよね。

歩みを止めず、未来へたくさんのことを伝えられるようになっていきたいです。